「崩す」と「支える」

怪我をしない、させないための動き方の習得。

特にアンダーカテゴリーのうちに習得しておくと良いと思う。

 

踏ん張らない。蹴らない。

 

この2点は特に気をつけたい。

自分の重心がどこにあるのか。

自分自身をどう支えているのか。

エネルギーのベクトルが支えることができない方向になっていると、ケガのリスクが増加する。

 

 

オフボールでもオンボールでも。崩して支える。

膝抜きして傾けて支える。

 

安定と不安定の反復を自分の意思で行うことができると、安全で効率の良い動きにつながる。

理解と再現性

・理解

理解とは"他者がわかるように説明できる"。

と言いかえることができる。

自分自身が体現できなくても、説明することによって他者が体現することができるなのであれば、「理解している」。と言ってよい。

体現できても、なんとなく説明できない状態は、突き詰めていくとわかっていない領域がある。

 

・再現性

再現性とは、「もう一回してみて」となったときに、同じように先程の行動ができる。ということ。

バスケットボールのプレーの中では、シュートやドリブルフットワークなどがそれに当たる。

シュートが右にいったり左にいったり。という状態は、再現性がない。と言える。

身についていない。と言い換えることもできる。

 

シュートが入ったからオーケー。

では、結果による評価となるため、練習の目的とは相反することになる。

結果は再現性のための原因にフィードバックするために使用する。

なわとび

地面からの「反力」をもらう感覚を養うにはとても良い運動のひとつ。

片足ずつ跳ぶときの動きとして、崩れてしまわないように、しっかりと支える。

足の指の付け根で着地をし、重心の位置を確認しながらするとよい。

 

短時間で心拍数を上げることができるため、練習前にむりなくするのがおすすめ。

 

150回/分くらいで跳ぶのが目安。

「努力は必ず報われる」と「お客様は神さまです」

「お客様は神さまです」

三波春夫のフレーズとして定着している言葉です。

公式ホームページ

本来の意味とは少し違った使われ方をしていることには、きっと嘆きの言葉を並べているのかもしれません。

 

 

先日2021年4月4日。

競泳女子100メートルバタフライで優勝し、東京オリンピックメドレーリレーの代表に内定した池江璃花子選手。

 

大病からの復活劇。素晴らしいなと思います。

現在の病状がどのようなものなのかわかりませんが、多大なる練習をしたのであろうことは、想像に難くないです。

 

レース後のインタビューで

「まさか、100で優勝できると思ってなかったですし、(中略)努力は必ず報われるんだなんていうふうに思いました」

と答えています。


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お客様は神さまです。

この言葉は、サービス提供者やホスト側が心の中に留置いておく言葉とするのが、正しい使い方だと思います。

それを、サービス受益者やオーディエンスが「わたしはお客=神さまなのだ」という使い方を行うと、カスタマーハラスメントに繋がる、危険な使い方だと思います。

すなわち、使う方向が間違っていると、本来の謙譲な意思がなくなってしまうということではないかと。

 

努力は必ず報われる。

この言葉は世の中ではよく聞く言葉だと思っています。わたし個人的にはあまり好きな言葉ではありません。使い方を間違えると”分断”を持ち込んでしまうからです。

「努力は必ず報わる」を言葉として使ってよいのは、”報われた本人のみ”だと思っています。

しかしながら、勉強やスポーツの場面で「努力は報われるのだから、がんばろうよ」的な”励まし”のつもりの、無責任な言葉の使い方はよくあるシチュエイションかもしれません。

本人からすると「努力してきたのに結果が出ないのは、努力が足りない。だから、もっと勉強(練習)の量を増やそう」と更に追い込むことに繋がる恐れがあります。

「結果が出なかったから、これまでしてきた努力は無意味なものだ」と虚無感に繋がることもあるでしょう。

まわりからの「努力は報われるのだから」は個人的には非常に重たい言葉と考えています。

 

結果のために努力することに価値があるのではなく、

努力することそのものに価値があると。

良い結果、良くない結果。そこまでの過程(努力)がとても大切なことだと。

努力という言葉は、上向きの方向性のイメージがありますが、「実際の努力」に近い言葉は「変化」だと思っています。上向きだけではなく、様々な方向性に広がるイメージを持つほうが、少しだけ心に余裕が出るのではないかと、わたしは思っています。